大学生が考える 批評と誇示
人生の教訓本、
話題の映画、
まじめな話題が受けるんだなと感じます。
所謂大衆受けのいい報道ってあるじゃないですか。物事を大袈裟にクローズアップして感情移入させやすくするドラマチックな報道。
そんな報道機関に一言申す、というスタイルは今や評論の基本で現代独特の批評文化ですよね。
その批評家も大衆受けが良かったり。
今の時代、中学生がオリンピックの強化選手になることなんてザラです。よくあります。
でもそれをアナザースカイ如く美術的に報道するのはなかなかだと思います。
本人達の努力の成果なんて、本人にしかわからないものだってあるから報道して共感を煽る事柄に仕立てあげることは良くないと思います。
だけど、そんな批評される事柄でしょうか。
もともと大衆受けがいいなんて、
それこそ大衆が決めたことです。
トランプ大統領を批判するのは自由です。言論、表現の自由は人間の権利ですから。
だけど、それこそ大衆が、ヒラリー・クリントンと比較して投票した結果なら、
受け入れる部分は必要かなと思いますよね。
報道の仕方を変えろというなら見なければいい。
そういう意見は彼らには通らないのでしょうか。
...通らないのでしょうね、批判することは自由ですしいらいらすることをけなして発散して快感とする人もいますし。
実際私もその傾向はありますし。
最近の批評文が定型化したこと、
私はとてもつまらないなと感じます。
いつもメディア、国家のせい。
じゃああなたは何者なんでしょうか。
国民として、批評しかできない、権利も能力もない人なんでしょうか。自分で変える、見方を変えてみることはそんなに難しいのでしょうかね。
結論、自己顕示欲の話なんでしょうね。
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