インスタントカメラから広がる若者論 教育の結果
って言うんでしたっけ、使い捨てカメラ。
昨日現像してもらったものを取りにいってきました。
傷心旅行と称して、母と江ノ島に行った時の写真が主でした。去年の夏頃です。
最近は若者離れ、と何かと話題される時代になってしまいました。
確かに、バイト先でのジェネレーションギャップは実感するものがあります。
まだ私は昔から長く続く漫画を読んでいるので、1996年頃に発売された第1冊目ではまだ携帯電話は無く、ポケベルもあるかな...というくらいの時代なのでなんとなく通信機器には理解があります。フロッピー・ディスクやカセットテープも幼い頃にはまだあったのでそこまで若者の枠には入っていないのかもしれません。
何かと最近の若者は〜と述べる偉い人たちにとっての若者ってどんなものなのか気になるところですが、今回の記事では私からの視点でマジョリティに対抗したいなと思います。
大多数の人達による一般論は、時代によって必ず移り変わってきます。大体常識というのは、私の経験上小学生時代に培われているので、毎年赤ちゃんが生まれる度に世代は繰り上がっていきます。だから常識も変わってくる。
これは大前提です。
だから、昔じゃ頭引っ叩かれるのが普通だったんだからなぁ〜と荒声たてる人達にとっては、縦社会が常識なわけです。ところが今ては、どんどん横社会が普通になっています。
「アルバイトでも、どんどん意見を言うべき」
私の昔働いていたバイト先がこれでした。
しかし私には合ってなかった。
これは私が若者の枠にはまってないからでしょうか。
私は違うと考えます。
「頭引っ叩かれた」世代の人は、今の私達の教師くらいです。だからそんな人たちから学びを乞うた私達の世代、頭引っ叩かれることは大事なのではないかと混乱してしまいます。
残って勉強をしていたら褒められる。だから残業も重視してしまう。
まだ、昔の常識だって受け継がれているのです。そんなことに気づかず、最近の若者はと述べる人たちはただ時代の常識に理解のない人のセリフだと考えられます。ただ狭い常識で考える。
今では小学生芸能人は常識でしょう。
だけど自分自身の昔の姿と振り返って、5歳でセリフも覚えちゃうの〜と感心するのはどうかと思います。現在の常識では当然となってくるものなのだから。どの時代にも、底辺の人と高身分な人は絶対に存在するのです。
この私の考えは、ただ意識が高くもって褒めることを勧めない考えなのではありません。
アルバイトでも意見を述べるべき、と考える裏には無意識的に縦社会が存在していることを気付くべきだと思うのです。
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